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2025.11.18
朝夕の涼しさに、季節の移ろいを感じる頃となりました。
この度、PTA・進路指導課共催による講演会を開催し、杉原千畝氏の孫にあたる杉原まどか氏をお迎えしました。
講演に先立ち、進路指導課の久門先生より杉原氏のご紹介がありました。杉原千畝氏は、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人を救った日本の外交官です。リトアニア勤務時には、迫害から逃れようとする人々に対し、約6,000枚の日本通過ビザを発給し、約2万人の命を救ったとされています。その行動は「命のビザ」と呼ばれ、世界中で高く評価されています。
杉原まどか氏は、杉原千畝氏の孫として、講演やイベントを通じて命の尊さや平和の大切さを伝える活動を続けておられます。
講演は三部構成となっており、①動画の視聴、②動画の内容を補足する形での講話、③現在のユダヤ人についてのお話がありました。講演の最後には、生徒による質問コーナーも設けられていました。
~「命のビザ」が繋いだ家族~
千畝氏が発行した「命のビザ」によって救われた人、そしてその家族の写真が紹介されました。印象的だったのは、どの家族も満面の笑顔だったことです。スライドには、家族の言葉が添えられていました。
“あなたがあのとき扉を開けてくれなければ、今、私たちはここに存在していない。”
“彼が私の命を救ってくれた。私だけでなく何千もの命をね。”
“あの当時、それはもうひどい状況だったから思うんだよ。あのビザが無かったら、私は今、生きていなかったかもしれないとね。“
千畝さんの「どんな民族であろうと、どんな国の人であろうと助ける」という強い思いが、たくさんの笑顔に繋がっていたのだと感じました。
~アウシュビッツ収容所を実際に訪れてみて~
まどか氏が実際に訪れたアウシュビッツ収容所の様子が紹介されました。「ガス室跡地」「処刑場へ続く道」など、当時の傷跡を感じるものばかりでした。
話に熱が入ったのが、「生徒と同年代の少女たちが収容されたバラック」についてです。少女たちの収容所での生活は、想像以上に悲惨なものでした。当時の時代背景を知ることで、千畝氏が発行した「命のビザ」が、生きる希望となったに違いないと感じました。
~生徒からの質問~
生徒の熱意を感じる質疑応答でした。
Q:千畝さんの口ぐせは何でしたか?
A:「どんなことでもいいから、人の役に立ちたい」とよく言っていました。
Q:現代で、千畝さんのように自分の行動を貫くには、何が大切だと思いますか?
A:簡単なことではありませんが、自分が正しいと思ったことを選択して実行する勇気です。
Q:1970年代にはイスラエルで功績を認められた千畝さんですが、日本で名誉回復されたのは2000年代でした。時間がかかったのはなぜですか?
A:時代背景を考えると、当時の日本で認めてもらうことは容易ではありませんでした。海外から、千畝さんを称える声・感謝の声が日本政府に届いたことで、名誉回復に至りました。
最後に、松尾康司PTA会長が公演の謝意を伝え、まどか氏から「人生の先輩を学び、正しいと思うことをしてほしい」というお言葉をいただきました。講演会は万雷の拍手で締めくくられました。心に残る素晴らしい講演をありがとうございました。
文責:PTA理事HP係

